私はこの日のよるベートーベンの第九を聴いて過ごすこと
にしている。
家族の人たちと共に恒例のTV番組を見て過ごす人が多いと
思うが。私は高校生の時から、殊更にTVの華やかな歌番組
を観ていても楽しめなくなってしまった。学生の頃大学受
験を控えて受験勉強に集中しなければならなかった。その
頃から自分だけ家族と離れて別の過ごし方をするようにな
った。その習慣が今も続いている。今は、家族はいないの
でどのように過ごそうが私の勝手だが、やはりTVを見ずに
PCで第九シンホニーを聞いて過ごそうと思う。第四楽章の
歌(この歌詞はシラーの詩:歓喜の歌からとったもの)を聴くといつ
も感動する。殊に、“・・・歓びよ、美しき神のきらめき
、楽園の乙女よ われら火のごとく酔いしれて、ともに汝
の天の如き聖堂におもむかん。汝の魔力は世の習わしが強
く引きはなしたものを再び結びつけてくれる。汝のやさし
い翼のひらくところすべての人々は兄弟(はらから)とな
る・・・”というくだりが合唱されるのを聞くとき、今
年のラクビーW杯で話題となった“ワンチーム”という言葉、
人種・民族の違いを越えて、チームの敵味方という感情が
、勝利の喜びで爆発するとサポーターたちは一気に“一つ
”となる。この情景が甦るのである。ベートーベンの第九
は何度聞いても新たな感動のフレーズを発見する。年末に
第九を演奏することが恒例となっている日本のおの文化的
風土に私は喜びを感ずる。
話しが飛びますが、BCがいつか“第九シンホニーの第三
楽章は『あれ』を表している”と私たちに伝えたが、『あ
れ』とは何だろう?神の愛のことではないだろうか?
大晦日の夜
2019年12月31日 · コメント(1) · 日記
タグ : 歓喜
Verde // 2019年12月31日 9:56 AM
第九は、進化した人々のより高い次元での統合の歓喜を示しているのでしょうね。