秘教日記

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新しい時代に人は大いなる目的を持つ。人類がイニシエーションの 道を発見し、それを辿ることになるということを、ハイラーキーは 予言しています。エベレスト登頂を成し遂げた人々が出現したことは、 ハイラーキーの予言が正しく実現される証しです。世界最高峰登頂の 出来事は、イニシエーション達成の予兆となっています。

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唯可信心高僧説

2010年02月03日 · コメント(1) · 未分類

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親鸞は「教行信証」の中で「唯可信心高僧説」ということを述べている、と先生は教えてくださった。
 親鸞は浄土真宗を開いた教祖であるが、その浄土真宗は北陸地方の人々に広く伝わっている。先生は福井県の出身で、先生のご両親も浄土真宗の信者さんだったとお聞きしたことがある。この「唯可信心高僧説」という言葉も、ご両親から伝え聞いたことかもしれない。
 意味は、高僧というのは、覚者のことで、覚者がアリス・ベイリーを通して伝えた教えは、そのまま受け取りにくい、私たちの知性によっては納得しがたい内容を含んでいる。証明不可能なこと、日常生活の常識からは理解しがたいこと、世間にあまり知られていないことが多く含まれている。
 アリス・ベイリーを通して30巻の教えを伝えたジュアル・クール覚者は、ある本の前書き部分で、次のように述べている。
「・・・伝えた教えが世界で働く人々の啓発されたマインドから反応を呼び起こし、直観の閃きを招くならば、その教えは受入れてもよいであろう。しかし、そうでなければ、受けいれるべきではない。語られていることが結果として確証に結びつくならば、もしくは、類似(相応)の法則のもとで照らして正しいと思われるならば、それは申し分のないことである。しかし、そうでないならば、言われたことを受入れてはならない。」
(アリス・ベイリー著 「新時代の弟子道」の前書き「チベット人の言葉からの抜粋」から。AABライブラリー 翻訳発行)
 世間には、多くの書物が出回っている。その中には、単に推測されたことがら、権威ある学者の受け売りで、出展を明らかにせずに、さも自分で発見したように述べ、着想したように思わせていること、人々を驚かす世間の噂話に類すること。そのような内容を真理と称して本を書いている人がどれほど多いことか。
 先生は、そのような内容の本を、遠ざけるべきことを言われた。そのような内容のことがらで、頭の中を一杯にしてしまうと、高僧説である覚者の教えがなかなか入っていかないからである。
 自分の知性の好奇心の赴くままに、多読するというのが、私の学生の時からの習慣であった。しかし、多読によって、自分の中に真理のエッセンスが蓄積されてくるかと言えば、決してそうはならない。読んだ多くのことは、忘れ去られ、数年経つと、それが書かれている本を読んだことさえ忘れている。
 知性(マインド)の消化吸収の仕組みは、肉体の消化吸収の仕組みと似ている。肉体も食べたものをよく噛んで、腹八分にするなら、しっかり吸収してくれる。
 マインドも、内容の消化吸収能力をオーバーするほど読むことを避けて、自分で実践できるものに限定して繰り返し反復して読むなら、マインドは健全に発達する。
 ジャンクフードのように、栄養価のあまりないものを、食欲の赴くままに、絶えず食すると、胃腸が弱る。
 同様に、真理とはほど遠い、感情要素の多い、単なる噂話を受け入れると、頭の中はゴラャゴチャしてくる。あまり本を読まない生活を送って、マインドを空腹にすることも大切である。_

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