かつて、「前世を記憶する子供たち」という本が出版されたことがある。
死が「復活」過程であるという、あらたな意味が加わり、死は「再生」の過程であるという認識がなされると、死を経過しても、それまでの意識を再生時に継続して持ち続けたいという欲望が目覚めるに違いない。
現在は、多くの人々が過去世の記憶を保持していない。なぜか?これは、愛の法則によって、そのようになっていると考えられる。人々は、すべての人がそうではないかもしれないが、たぶん過去世において、記憶に留めたくない多くのことをなしている。過去において、人を殺したり、嘘をついたり、他者を犠牲にして、自分の利益を図るということを一切しなかったなら、過去世の記憶を保持していることは、よいことである。しかし、過去世において、利己的動機で、他者に害を与えたことがあったとしたら、その記憶を持ち続けることは、その人にとって苦痛であるにちがいない。そんな記憶を持ったままで、幸せな人生が築けるとは思えないし、進化の道を有利に前進できるとは考えられない。だから、あまりに詳細な記憶が消去されて生まれてくることは、人間にとってすばらしい仕組みである。
死と生の意義を少しでも理解しようとしている人は、新たな気持ちを抱いて、進化の道を意識的に辿ろうとする。そのような人々は、今生での経験を明晰な意識の中に留めて再生したいと考えないだろうか?
そのような人々に、記憶を保持したままで、つまり、「意識の連続性」を維持して生まれ変わりたいという、欲望が目覚めるかもしれない。その欲望をかなえようとするのが、「死ぬ技術」の習得である。21世紀は、大勢の人々がその技術を追求するようになると予言されている。
意識の連続性ということ
2010年07月21日 · コメント(0) · 未分類
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