チェンナイからバンガロールまで、名古屋グループの一人、大垣さんという、三十代の若い女性と隣合わせの座席だった。
大垣さんは、ルネッサンス期のイタリア名画に描かれている名家の令嬢のように容姿端麗な人で、ある有名なタレントに似ている。しきりに私たち夫婦がそろって、このような求道的意味あいの旅行に行くことをうらやましいとおっしゃる。
「いいですね。夫婦そろって、行かれるなんて」。
サイババのアシュラム(注1)へ行くのは、圧倒的に女性が多く、男性は少ない。名古屋からのグループの女性たちも、夫は知らんふり。どちらかというと、女房に行ってほしくないと考えている夫のもとを、振り切るように出掛けてくる女性もいる。
彼女は打ち明けて話してくれた。彼女は親の反対を押し切って、この旅行に参加したのだった。玄関を出るとき、
「どうしてもインドに行きたいというなら、もう家に帰ってこなくてよい」。
という捨てぜりふを父親から投げ掛けられている。彼女の表情の中にどことなく寂しいところがあるのは、このせいだった。
そして彼女は帰国のコースでは、クアルンプールで名古屋グループと分かれて、関西組みに加わらず、東京組みの人たちに混じって日本に帰って行った。
一方、京都から来られた飯島さん一家のように、親子三人でサイババに会いに行かれる家族もある。この状況が最も理想である。えてして、道を歩む上で、夫婦がグル(注3)を別々にすると、何かと不都合が生じやすい。私たちの家庭もかつてはそのような状況にあって家庭内に大変な軋轢を生じたことがあった。
「結婚されていないようですが、結婚されるなら、同じ道を歩めるような方がいいですね」。
と私が水をむけると、
「でも、結婚生活は、縁のものですから、精神生活で同じ道を歩めなくてもこだわりません」。
という返事だった。その響きから判断すると、よくよく考えを練られた言葉だと思った。私はBK氏のお仕事を手伝っていて、それに熱中して夫婦仲が悪くなり、息子が引き籠もりを始めて家庭が混乱した。しかし、息子が引き籠もりから立ち直るのに、サイババが見えざる世界から手助けをして下さったために、子供が立ち直ることができた。この旅行は、そのお礼参りの意味があるということを簡単に大垣さんに説明した。
チェンナイからバンガロールへ
2010年08月01日 · コメント(0) · 未分類
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