目覚めたのは十時三十分頃だった。宿舎北側の建物の、どの階か分からないが、バジャン専用の部屋が設けてあるらしい。毎日、ほとんど一日中、女性たちのバジャンが聞こえてくる。私の目が覚めたのも、彼女たちのバジャンの歌声が響いてきたからである。
北側の窓は、あけはなしてあるが、蚊が入ってこないように、網戸がとりつけてある。日本から蚊とり線香を持参してきていたが、それを使う機会はなかった。四階の部屋ということもあり、入口のドアを開け放っておいても、蚊がそこから入ってきて、その蚊の翔ぶ唸り音を聞くということはまるでなかった。
窓の外を見ると、その北側の隣の建物の屋上に四、五匹のサルがたむろしている。柵も何もない屋上のへりに腰掛けて、すこしバランスを崩せば4階分の高さを真っ逆様に落下するのだが、そのような恐怖を全く持たずに、屋上の縁から八十センチほど下から出ている雨樋の筒にさっと手を伸ばして、器用に身をくねらせて、樋をつたって降りていく。次々にサルたちは、樋を伝って降りていった。
私は日本から持ってきた本を開いて読書をした。バジャンを聞きながらであるが、意外に集中して、読書のペースがはかどった。
安田さんを昼食に誘ったが、「食欲がないので、一人でいってください」という。今回もインディアン・キャンティーンにした。朝はチャパティだったので、今度はライスにした。日本のものよりも細長い米で、パサパサしている。ねばりがない。私はあまり肥えた舌をもっていないので、この米を不味いと思ったことはない。日本のグループの人たちは食事の前にあるマントラムを唱えてから食べるのであるが、私はそのマントラムを知らない。しかし、別の祈りを知っている。こうである。「食するものを、感謝して、偉大なる母に捧げます」。このように祈りながら、眉間に集中する。すると、食物を構成しているエレメンタル(注26)たちの魂に、ある働き掛けがなされる。彼らは調和した形で、それを食する私たちの体内に吸収される、と教えは示している。大切な教えであるが、私はときどき食前の祈り(注27)を忘れて、食欲にほだされてがむしゃらに口へと運んでしまう。教えが習慣として身につくまでは、長い時間がかかるものである。
午後のダルシャンに参加するために、最初に約束していた十二時半よりもずっと早い時間に、三叉路に行ってみると、飯島先生一人待っておられた。だんだん人が多くなってきたので、これまでと同じくらいの時間では、前の方に座ることができなくなっている。山内さんはパウロさんとすでにいってしまったと言われる。少年をしばらく待ったが、どうやら彼ももう行っているようである。彼は一人でもホールに来られるということで、飯島先生と私の二人でホールに向かうことにした。飯島先生に話し掛けた。「先生のように、社会的地位もあり、名誉もおありになる方が、こうして裸足で歩き、何時間も座って待たされるのに平気で参加されるのは珍しいですね」。「このようなダルシャンに参加されることは大学の先生方には馴染めないことだと思いますが」と言うと、「私も同僚の方にお勧めしようとしましたが、大学の先生方は難しいです」とお答えになった。
四日目の朝(2)
2010年08月22日 · コメント(3) · 未分類
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