秘教日記

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新しい時代に人は大いなる目的を持つ。人類がイニシエーションの 道を発見し、それを辿ることになるということを、ハイラーキーは 予言しています。エベレスト登頂を成し遂げた人々が出現したことは、 ハイラーキーの予言が正しく実現される証しです。世界最高峰登頂の 出来事は、イニシエーション達成の予兆となっています。

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霊的緊張について

2011年06月01日 · コメント(1) · 未分類

霊的緊張について

「見よ、私は盗人のように来る
 裸のまま歩かないように
 また裸の恥を見られないように
 目を覚まし着物を身につけている者はさいわいである」(ヨハネの黙示録16:15)
 
私は、学生の頃サミュエル・ベケットの 
「ゴドーを待ちながら」という戯曲にとても感動しました
喜劇ですが、日本の喜劇と同列に考えることはできません
二人だけの登場人物、ポッゾーとラッキーが
ゴドー氏が来るのを待っているという舞台設定です
 
人によって見方は様々ですが
私にはこの「ゴドー」という人物がキリストで
ポッゾーとラッキーという二人の登場人物が
人類を代表しているように描かれていると思われました
 
ポッゾーは彼の召使ラッキーの首をロープでつないで
まるで人間と犬のように
一方が支配し他方が従順に従うという
人類社会を痛烈に皮肉る喜劇です
 
ポッゾーは、顕示欲や支配欲が強く
そして感情表現が大袈裟で
自分自身はプロザイックで、滑稽な姿ですが
宗教人のように荘厳さ厳粛さを好み
壮大な身振りをして観客を笑わせます
 
ラッキーは卑屈なほどポッゾーに従順ですが
ときには立場が入れ替わって
ラッキーがポッゾーを犬のように支配します
 
終幕までゴドーは現れず
ポッゾーとラッキーは劇の初めとまったく同じ状況で
劇が終わります
 
聖書に慣れ親しんでいる西洋の人々には
この劇の二人の登場人物がキリストの再臨を待望する
人類自身であると感ずる人もいるでしょう
ポッゾーとラッキーの主従関係
ラッキーの隷属状態が解放されていない二人には
如何に出現を待望する緊張状態を続けていても
ゴドーは現れることができないことを
ベケットは、示唆したかったかもしれません
 
話が変わりますが
たとえば、受験・就職・結婚・など人生の重大事において
緊張が持続した後には
精神的成長がはるかにスピードアップされるということを知ると
 
自己満足の状態は
それとは反対に成長が止まって停滞していると
感じるようになります
そのような人にとって
霊的緊張の意味が分かると思います
 
自分自身の中にある権勢欲、支配欲をなくし
「霊的緊張」を持ち続けることは
イニシェーションを目指す人にとって
欠かすことのできない重要な要素です

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コメント (1)

  • Adolfo

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    I’m not sure whether this post is written by him as nobody else know such detailed about my difficulty.
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