いじめについて
今日友人と話していて、
ここのマンションの学区は、
いじめのないことで有名な小学校の学区なので人気が高く、
毎年このマンションに移りたいという希望者が
後を絶たないのだよ。
と言う話からいじめがどうして起こるのかという話になりました。
私も教職の仕事に就いたことはありますが、
小学校・中学校の先生ではではありませんので、
いじめの実態についてつぶさに観察したわけではなく、
多くの推測を含む判断ですが、
秘教という生命科学を長く学んできた者の意見として、
教育にたずさわっている方の参考にしていたただけたらさいわいです。
いじめといってよいかどうかわかりませんが、
動物界ではとりわけ集団で狩を行う肉食動物のグループでは、
いじめに類することが普通に見られます。
人間社会においても、
会社などのグループにおいては、
その会社が利益を追求するだけの
唯物傾向の強い会社ですと
上下関係をはっきりさせるという目的で、
力の誇示のために、
いじめが頻繁に行われています。
それは、グループの秩序または規律を維持する
自然の摂理に似たものかもしれません。
しかし、動物界よりも進化した人間社会では、
グループ(つまり集団)が、
唯物的目的をこえて、
霊的目標つまり精神的目標を追求しだすと、
いじめという現象がなくなります。
具体的にはたとえば学級で、
合唱コンクールで優勝を目指すとか、
21人20脚という学校別の対抗試合において、
優勝を目指すとかの明確な目的意識を以って、
クラス全体が努力する場合には、
いじめというものは発生しません。
生命科学的観点からは、
唯物的ではない明確な目的意識を掲げるリーダーを通して、
そのグループに豊かな生命エネルギーが流れるとみることができます。
生命エネルギーが不足がちになると、
いじめが発生します。
生命エネルギーが不足勝ちになるとは、
グループという細胞の核である
リーダーが不適切に選ばれていて、
グループの霊的成長の目的意識を
掲げることができないという場合です。
ちょっと抽象的な解説だったでしょうか?
いじめについて
2011年10月15日 · コメント(1) · 未分類
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Augusto de Arruda Botelho // 2017年03月28日 3:58 AM
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