祝福の瞑想について
今日は祝福の瞑想に行ってきました。
大袈裟に
エネルギーがどうのこうのと言う人がいますが、
私は長年祝福を受けていても
たいしたことは感じません。
いつもと同じです。
近い将来、
人類にとって春の三大祭と
このクリスマスの祝福が
大きな意味を持つと誰かがは予言しています。
私個人は、
これらの祝福はそれほど人々に
魅力を覚えさせるものだとは感じはいません。
むしろキリスト教会で行われる
ミサのように敬虔な雰囲気の方が
人々をひきつけるのではないかと思います。
昔先生が
「真味、之淡(しんみ、これたん)」
とおっしゃっていました。
その意味は、
「ご飯は、味の濃いおかずと比較すると淡白だが、
決してあきのくる味ではないので、
主食として、長く食することができる。
それに対して味の濃いおかずは、
繰り返し同じものを食することはできない」
という意味です。
それと同じで、
永遠の真理というものは、
アストラル界の情報と違って、
センセイショナル(つまり人目をひくような)ところがありません。
祝福も、極めて常識的で、
誰もが近づき参加できる
穏やかな催しごとですが、
長く続き
次第に広まっていくという意味です。
祝福について
2011年12月26日 · コメント(2) · 未分類
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Augusto de Arruda Botelho // 2017年03月28日 3:32 AM
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Ariane Slinger Trust // 2017年05月07日 6:52 AM
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