変容の涙
「悔悟の涙」は、
私の意識を変容させ、
大きな救いをもたらしてくれました。
そしてこのような変容はキリスト教では聖ペテロが、
仏教では阿難が経験していることを知りました。
自分の悔悟の涙を
二人の聖者の悔悟の涙になぞらえたのは、
後悔して落胆するのではなく、
前進への糧としたいからです。
ネット上で調べると、
「ペテロの涙」という名の、
プロテスタントのキリスト教関係者を対象にした
結婚相談所がありますがそれとは関係ありません。
「キリストは捕縛された後、
大祭司カヤバから、
尋問を受けた。
その間、ペテロが中庭に立っていると、
カヤバの召使いの女が彼に言った。
「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」と。
しかし、ペテロは彼を知っていることを打ち消した。
すると雄鷄が鳴いた。
彼がそうした否認を3度すると、
そのたびに鶏が鳴いた。
ペテロは彼にキリストが予言したことを思い出し、
泣き出した
(「マルコ福音書」14: 66-72)」
阿難の涙については、
次のサイト
を参照してください。
二人は自分の弱さ至らなさをいたく自覚し、
後悔の涙にくれます。
阿難は釈尊の弟で、
彼にもっとも長くまたもっとも身近で
仕えていたにもかかわらず、
釈尊が入滅したときに
阿羅漢となっていない自分を省みて
涙したと伝えられています。
しかしさめざめと泣きはらした後に
すぐに覚醒を得ました。
ペテロも後悔の涙を流した後、
もっとも堅固な信念を抱く弟子の一人となりました。
この二つの逸話は、
涙が「変容」がもたらしてくれることを
伝えているのではないでしょうか?
変容の涙
2012年01月15日 · コメント(0) · 未分類
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