霊的志向の幕間について
昨日意識の進化について書きました。
書きながら考えていたことは、
人は無執着となっているときと、
義務を果たしているときに
もっとも進化するのではないかということです。
DKは、
秘教学校で学ぶ多くの人々に
人よりも早く進化したいという
霊的利己主義があり、
道の当初においては
それはやむをえないことであると述べています。
私たちが幼児の頃、
利己主義が普通です。
誰がそれをとがめることができましょう。
イエスの少年時代のように、
お祝いの食べ物を与えられたときに、
それを自分だけで食べるのではなく、
貧しい人々に分け与えたいと考える子供が時々います。
そのような子供は、
大きくなったら
世界救世主になるかもしれませんね。
幼児にしてキリスト意識をもっているのですから。
霊的志向がありながら、
やむを得ず世界奉仕に参加できなくても、
それは霊的志向の幕間にあるということですね。
霊的志向の幕間について
2012年02月12日 · コメント(1) · 未分類
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Augusto de Arruda Botelho // 2017年03月28日 3:19 AM
What’s up, of course this piece of writing is genuinely
nice and I have learned lot of things from it regarding blogging.
thanks.