秘教日記

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新しい時代に人は大いなる目的を持つ。人類がイニシエーションの 道を発見し、それを辿ることになるということを、ハイラーキーは 予言しています。エベレスト登頂を成し遂げた人々が出現したことは、 ハイラーキーの予言が正しく実現される証しです。世界最高峰登頂の 出来事は、イニシエーション達成の予兆となっています。

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ゴドーを待ちながら

2012年06月13日 · コメント(0) · 未分類

「ゴドーを待ちながら」
40年前に大学で、
サミュエル・ベケットを
卒論のテーマに選んで、
この作品を読んだことを
感慨深く思い出しています。
 
BCとIMの講演会での質疑応答で
必ず出る質問が「大宣言はいつありますか?」というものです。
 
この質問と、
「ゴドーを待ちながら」という、
前衛演劇の関連は、
何かと言えば
一方では
ただ座って大宣言を
心待ちにしている人々もいれば、
他方大宣言はメンタル界ではすでに為され、
あとはそれを物質界へとひきおろすために、
途方もない奉仕のチャンスが作られていることを知って、
喜んで苦闘する人々もいます。
 
「ゴドーを待ちながら」は
前者の人々を暗示しています。
 
この演劇のたった二人の登場人物は、
ポゾーとラッキーで、
ポゾーはラッキーの首に縄をつけて、
二人は一方が主人で他方は召使という
隷属関係にあります。
 
最初の場面で、
ポゾーが、壮大で厳粛な光景を
大げさな身振り手振り描写して
観客を笑わせます。
 
ポゾーはキリスト教会を、
ラッキーが人類全体を
暗示しているというのが私の解釈です。
 
ゴドーとはキリストの再臨のことだと思います。
 
終幕は開幕と全く同じ場面で、
結局は一歩も前進せず、
ポゾーは相変わらずラッキーを隷属状態にしたままです。
 
この前衛演劇は、
観る人によって、
色々な見方があり、
私の解釈が正しいとはかぎりません。

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