種子のない瞑想
8月10日のブログで、
「種となる思考のある瞑想と
種となる思考のない瞑想」と述べましたが、
正しくは「種子のある瞑想と種子のない瞑想」でした。
この言葉は、
(日本語版)「秘教瞑想に関する手紙」の手紙Ⅳ、
瞑想での聖語の活用、78頁にあります。
熱心な方はそこを読んで、
覚者の興味深い言明を発見することが出来ます。
次のように書かれています。
「ある進化段階でこの二つは融合し、
種子は落とされ、
真空状態が創造される。
それは高位我と低位諸体の間というよりもむしろ、
それらと直観界つまり調和の界層の間に創造される・・・」。
この本の中には、
「真空状態」の創造という表現があちこちに見られます。
その真空状態を創造する方法とは、
種子のある瞑想ではなく、
種子のない瞑想において、
聖語を発声することによると述べられています。
ここをよく読むと、
聖語を正しく発声する方法を
身につけたいという思いが湧いてきます。
マントラムは「真空状態を創造し、
その結果として上方からの降下が引き起こされる」
と述べられています。
このブログに訪れる常連の人たちに
聖語を試すことをお勧めします。
これまでゼロ点という言葉をキーワードとして
様々なゼロ点について考察してきましたが、
どうやらいずれのゼロ点も、
より高位の状態へ移行する戸口であるようです。
種子のない瞑想
2012年08月13日 · コメント(0) · 未分類
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