許しについて
イスラム教徒同士でも、
キリスト教徒同士でも、
仏教徒同士でも、
宗派の対立からお互いを憎しみ合い、
宗派間の争いに発展してきたことは、
人類史上枚挙にいとまがありません。
二千年前イエス覚者は、
自分を救世主として受け入れなかった
ユダヤ教の司祭たちに対してだけでなく
自分の磔に関わったローマの兵士たちに対しても、
憎しみの言葉は、
一切述べませんでした。
逆に
「主よ、彼らを許したまえ、
彼らは何も知らないのですから」と、
神に祈っています。
なのに後の旧教徒と新教徒たちは、
互いに血なまぐさい殺戮を行い、
近年まで旧教徒と新教徒の対立は、
凄惨を極めるものとなっていました。
現在イスラム教徒の
スンニ派とシーア派が同様のことを繰り返しています。
「コース・イン・ミラクルズ」という
イエス覚者のお弟子さんが伝えたとされる教えは、
コース全体を通して「許し」のテーマを扱っています。
この教えを学んで、
改めて映画「ジャンヌダルク」を観ると、
フランス国王はイギリスとの和平の条件に
フランスの救済のために立ち上がった
ジャンヌの火刑を承諾するのですが、
牢獄のジャンヌは
そのようなフランス王の仕打ちに対して
一切恨みの言葉を吐かずに、
牢獄に収監されている間
マスターの導きによって
自分が「神のお告げ」だと思い込んだ
経緯がグラマーであったかも知れない
という反省に集中します。
フランス国王に対する憎しみの言葉は一切ありません。
ために彼女の火刑は、
イエスの磔と同様に、
イニシエーションの過程に変えられたというのが私の観方です。
現在ジャンヌダルクは、
覚者となっておられます。
許しについて
2013年01月16日 · コメント(0) · 未分類
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