ビリーフからフェイズへ
ベンジャミン・クレーム著「マイトレーヤの使命、第二巻」を読んでいて、
次のことに気づきました。
誰でもマイトレーヤを体験できるのではないかということです。
ただし「エネルギーは思考に従う」ので、
希望または信仰(ビリーフ)を抱いて、
それに沿って行動するということを通してです。
主を体験すれば、
それは単なるビリーフ(信仰)ではなくなり、
フェイズ(信)となります。
ビリーフとフェイズの違いについての説明は、
上記の本の693頁にあります。
ビリーフは
感情的な思いで、
「知的確信はないけれど、
希望と疑いの入り混じった信仰」です。
新約聖書の中のトマスの思いと言えます。
しかし希望を持ち続けて行動していると、
やがて徴がやってきます。
なぜなら「エネルギーは思考に従う」からです。
そして情緒的信仰は、
槍で突きさされたイエスの体の傷跡に
トマスが手を入れて確信したように、
実体験に基づく信(フェイズ)へと変容します。
ビリーフからフェイズへ
2013年04月12日 · コメント(0) · 未分類
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