社殿の前の手洗い所
神社に参拝するとき、
手洗い所に立ち寄り、ひしゃくで水を汲み、
左手と右手と口を漱いでから
拝殿の前に立つという作法があります。
竜王会の創始者三浦関造先生の説明で、
拝礼する前に両手と口を漱ぐのは、
手を洗うことは物質的な欲望に汚れた両手を清めること、
口を注ぐことは、
嘘を言うとか自分の口から他者を傷つけるような
言葉のとげをなくすために、
水で洗い清めることを象徴的にあらわしてしている
ということを言われました。
ブラバツキーもシークレット・ドクトリンの中で、
人体の形が首のところが最も細くなっているのは、
意識の焦点がハート中心から上に昇る際、
狭い通路を通過しなければならないことを
象徴しているという意味のことを述べています。
アンドレ・ジッドの「狭き門」は、
イエス・キリストの言葉「狭き門から、入りなさい」
という言葉からとった題名だと思います。
喉(口)は創造の中心です。
「狭き門」をそれを象徴しており、
その中心を使う(言葉を使う)創造活動が
神の意図に適うものでなければ、
真の祈りの宮殿(頭の中心)には入れないと言われています。
社殿の前の手洗い所
2013年06月11日 · コメント(0) · 未分類
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