恐怖は強い不安と言えばいいでしょうか?
全体主義で、
被害者となりたくなければ、
恐怖を与える側となります
そうならないためには、
自分が不安を克服して、
情緒体を支配しているべきです。
イニシエーションの道を辿ろうとする人に、
よく読まれている本があります。
バガヴァッド・ギーターという本です。
この本は『マハーバーラタ』の中の一編ですが、
『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の作者は、
聖者ヴィヤーサです。
この本の主人公アルジュナはクリシュナを師としています。
アルジュナが戦闘に入らんとする平原、
クルクシェトラの平原とは、
アストラル界を象徴しています。
この平原で、親族との戦いを前にしたアルジュナは、
クリシュナから自分の情緒体を支配する方法を教わります。
それが種々のヨガです。
クリシュナはマイトレーヤの前世であると、
ベンジャミン・クレーム氏は伝えています。
つまり、道を探究する人にとって、
情緒体を支配することは道の初めであり、
最初の重要な課題です。
恐怖の被害者となっても、
決して相手を恨むことなく、
心の平安を維持するなら、
光が与えられる、つまり、
イニシエーションの門を無事に通過して、
引き上げられるというのがわたしの理解です。
イエスが十字架上で、
ローマ軍の兵士たちに槍で突かれても、
彼らを恨むことなく、
「主よ、彼らを許したまえ、彼らは何も知らないからです」
と祈ったこと。
ジャンヌ・ダルクは、
フランスを助けるためにイギリス軍と闘ったのに、
フランス国王はイギリス軍と和平を結ぶために、
ジャンヌを英国軍に差し出し、
火刑にすることに同意しました。
その際、ジャンヌはフランス国王に対して、
恨む気持ちを持たず、
詭弁を使って自分を魔女だと決めつける司祭さえ
恨まない姿が映画に描かれていました。
ジャンヌ・ダルクは今は覚者になっているという情報があります。
これらのことから、
私は恐怖を克服することは、
イニシエーションの道におけるチャンスの時でもあると、
考えるに至りました。
Gertrude // 2017年05月05日 5:53 AM
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