(えんじゃく いずくんぞ こうこくのこころざしをしらんや)
これは十八史略にある諺。
若いスポーツ選手が、
リオ・オリンピックでメダルを取りたいというのを聞きますと、
それは鴻鵠の志だと思います。
「イニシエーションの道を辿る」とか、
新しい時代の祈りというマントラムを真剣に唱えている人の志も、
鴻鵠の志かもしれません。
昔友人が「カモメのジョナサン」という物語を紹介してくれました。
ジョナサンは、仲間の鳥に理解されませんが、
ひたすら高く飛ぶことを練習し続け、
遂には大空に消えてしまうという物語です。
ジョナサンの志も鴻鵠の志ですね。
私は自分を燕雀だと思っていますが、
志だけは鴻鵠の志を持ちたいです。
老齢の私は若いスポーツ選手に負けないようにするには、
「イニシエーションの道を辿る」
という志を持ちたいです。
メダルを取りたいという志は、
周囲の人々の支援や祝福を受けるのに、
「イニシエーションの道を辿る」という志は、
理解されているとは言えません。
不満を感じることがあります。
不満を持つ自分は、
鴻鵠とは言えず燕雀そのものなのに、
志だけは、鴻鵠並みにしたいというのが本当ですね。
マイトレーヤに倣って、
人から何と思われようと、
「あなたは神です」と言い続けよう。
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