平安と言えば、
昔NHKTVの大河ドラマ龍馬伝が放映されていたとき、
坂本龍馬が周辺の人に次のようにと言って、
薩長同盟を画策して奔走していたことを思い出します。
”日本を誰もが安心して暮らせる国にしたい”
身分制度で硬直していた江戸時代末期に、
坂本龍馬は下級武士の家に生まれ、
不平等社会の理不尽さを痛いほど感じていたに違いない。
ドラマとはいえ、
”平安”ということが大きなテーマになっていることに
私は驚かされました。
今、私たちが平安に暮らしているかと言えば、
決してそうとは言えません。
平安は、いつの時代においても普遍的テーマです。
ところで、イエス・キリストの時代、
エルサレムとは平安の都を意味していたことを知っていましたか?
日本の平安時代に平安京を建設したのは、
その時代の貴族たちの先祖であるユダヤ士族の先祖が、
エルサレムを首都としたことに倣ったという説があります。
琵琶湖という名前は、その説によれば、
ガリラヤ湖の日本語名だという。
ガリラヤ湖で、
復活したイエスが水の上を歩いている姿を見たペテロは、
師を追いかけて船から出て水の上を歩きますが、
恐怖に囚われて沈みかけます。
その時イエスは”信仰薄き者よ”と言って。
ペテロを助けあげます。
この話は信を失って恐怖に囚われると、
水が象徴しているアストラル界で、
溺れる可能性を示唆しています。
琵琶湖がガリラヤ湖を模して名付けられたという説が、
本当かどうかは別としても、
私たちにとって、
”平安”ということは大切なことである、
というのは今も昔も変わりません。
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