”神の栄光は、
天上では光輝いてみえるが、
地上ではごく平凡な出来事である”
というようなことをいつか述べたことがあります。
最近気づいたことですが、
身近な出来事の中に、
神の栄光を見ます、というか、
感じることがあります。
”栄光”という言葉から、
輝かしい出来事と想像しがちですが、
むしろその反対の、ドロドロした私たちの生活のなかに、
神さまが私たちを愛するが故の宇宙の法則によって、
全てを統治しておられることを感じます。
人間には、自由意志が与えられ、
私たちが正義をなすように、
神は定められたことを感じます。
”正義をなすべき時である”と感じて、
その時をチャンスととらえ、
神の栄光を輝きの中で見ることができる。
”神の栄光は、天上では輝いて見えるでしょうが、
地上では、何でもないことにしか見えない”
と述べたときには、
感じられなかった神の栄光が、
近頃はどこにでも見ることができる。
”ハレルヤ ハレルヤ”と、
歌いたい心境です。
コメント (0)
コメントはまだありません。