「ヨガ行者の一生」に書かれている話です。
インドではアバターが至る所に出没する。
一人の行者が街中の路上に座って、
乞食をしていた。
通りかかったいたずら好きの人が、
その行者に一碗の牛乳を差し出した。
ところが、ミルクをお布施したその人は、
ミルクの中に石灰を混ぜていました。
行者は何も感じなかったように、
そのミルクをうまそうに飲みほしました。
ミルクを差し出した、いたずら好きな人が、
急にお腹を押さえて苦しみだした。
ミルクを飲みほした行者、実は聖者の一人ですが、
次のように述べました。
”相手と自分は同じであることが、
分かったでしょう?”
”相手になしたことは、
自分自身になしたことです”
この話を私のヨガの師匠は、
しばしばしました。
話しは変わって、
先生の仮寓の宿には、
近所のおばさんが、訪ねてきました。
おばさんに人間の構造について話している時、
急に厠に行きたくなった。
先生が厠に入るとプンと、
自分のものではないオナラの匂いがしました。
翌日、おばさんがたくさんの野菜を、
先生に差し出しながら、
”おかげで助かりました”と言いました。
打ち明けて言うには、
長い間便秘で苦しんでいました、と。
先生は”私のお腹とおばさんのお腹は入れ替わっていた”、
と話しました。
この話は、
キリスト教が教える”黄金法則”と同じですね。
「あなたが自分にして欲しいと思うことを
相手にしてあげなさい」
(マタイ伝7章12節)
つまり、自分と相手とは同じである。
ところで、胃の入口を噴門・出口を幽門と呼びますが、
幽門という言葉は、アストラル界の入口を思わせる。
人間の消化器官は、
アストラル界とつながりがあるかも。
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