アリス・ベイリーは自叙伝の中で、
私たち人間の意識から、
神の意識の有り様を想像することは、
蟻が人間の意識の有り様を想像することに似ている、
というようなことを述べています。
身近なことで想像してみると、
5・6才の子供の意識は、
天才と呼ばれている人の意識と比較してみる。
幼児の意識は、
天才と言われる人の意識の広大さを理解できない。
人の意識は経験を積むことによって拡大するが、
私たちも覚者の意識の広がりは理解できない。
話しは変わって、
”井の中の蛙大海を知らず”
という諺があります。
私が20代に米国アメリカ旅行をした時ほど、
この諺が真理だと感じたことはありません。
科学者ニュートンは、
”わたしが得ている知識は、
海辺の一握りの砂に過ぎない”という譬えで、
私たちの知識の少なさを述べています。
神の知識は広大無辺な海岸の砂になぞらえられる。
真に知る人は、
知れば知るほど謙虚になる。
覚者の意識や主マイトレーヤの意識の大きさは、
類比の法則を使って想像するしかないが、
マイトレーヤは驚くほど謙虚です。
神の代理人としての広大な意識を持つのに、
私たちの兄弟としてわたしたちにお願いする。
”・・・わたしはすべての者が
わたしを見ることのできる出現の時を待っている。
これを可能にすることを、
あなたがたにお願いする・・・”
(メッセージ第132信より)
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