昨日(9/2)の日曜日、久しぶりに友人が訪ねてきた。
お互いの近況報告をたずね、
私たちは、
メッセージのある言葉について、
話し合いました。
そして、
楽しい時を過ごしました。
孤独な生活を送っている者にとっては、
友人と言葉を交わすことは何よりも楽しい。
友人は、
メッセージ第79信の中の次の言葉について、
尋ねました。
“・・・
わたしの到来には問題がないわけではない。
・・・“
どういうことが、
問題になるのか?
これについて、
私の理解するところを話しました。
主は他のところで次のように述べています。
“わたしの到来は、
平和をもたらす。
同時にわたしの存在は裂開をもたらす。“
(メッセージ第74信より)
ところで、
日常生活で経験することですが、
光の強いところでは、
影もくっきりとめだちます。
それと同じように、
マイトレーヤは強い光をもたらすから、
明るい光の存在も目につくが、
暗い影の存在の活動も活発になる。
山口の行方不明の幼児の捜索に大勢の人が参加したが、
ボランティアで九州から駆けつけた光の人は、
わずか30分で探し出した。
これは、
明るい光に属することがらです。
他方、
“殺すのは、誰でもよかった”
という凶悪犯罪が暗いニュースとして報道される。
こうした正反対の出来事が、
主の到来に伴うから問題が存在していると言える。。
このことを、
メッセージ第74信の言葉は告げている、と。
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