タイトルの読み方は、(ゆいかしんじんこうそうせつ)と、
(われほとけをおくねんすればほとけわれをおくねんする)
この二つの標語はヨガの師匠が、
秘教を学び始めた私に、
最初の頃に伝えた親鸞の「教行信証」の言葉である。
以前、yahooの知恵袋で、
「法然を信仰するのと、麻原彰晃を信仰するのと、
どう違うか?」という質問に答えたことがあります。
両者の教えを実践してみて、違いが分からなければ、
唯物科学が主張するところの、
”盲信”で麻原彰晃に従うかもしれない。
これは、
”盲人が盲人に導かれる例”と言えよう。
宗教臭い教えに嫌悪感を抱く物質主義者でも、
死者のために墓を立て冠婚葬祭に儀式を執り行っていろ。
盲信と雖も、
例えばブラシーボ効果のように、
信の力によって、希望が物質界に実現する例は、
私たちが日常生活で
度々経験している。
秘教科学は人間の清澄なマインドの持つ”
信ずること”の強力な実現力を私たちに教える。
ところで、「”高僧説”とは、
覚者の教えである」と、
先生は私に言いました。
ほとけをおくねんすれば、
ほとけも私たちをおくねんしてくださる。
”give and take”である。
日常生活の中で母親が子供の安寧に心をくだけば、
子供の方も母親の愛に感謝する。
子供が身の危険を察知して、
心の中で母親に助けを求めると、
母親の祈りで、
奇跡的に子供が助かる、と言う例を耳にする。
今思えば、ヨガの師匠は最も基本的で、
大切な教えを私に伝えてくださいました。
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