「朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。」は孔
子の言葉。高校時代の漢文の授業で習いました。
今日(6/25)は、どういうわけか二人の友人が私を訪
ねてくれました。一人は日頃から色々と私を助けてく
れる瞑想の仲間。もう一人は小学と中学を同じ学校で
過ごし、59才までは毎年年賀状のやりとりをしていま
したが、私が老人ホームに入居してから、年賀状のや
りとりも途絶え、全くお互いの音沙汰がありませんで
したが、ケイタイ電話で昔やり取りしたことがあった
ので、その記録をたよりに、SNSを送って、久しぶ
りに旧交を温めました。その小学校時代の友人は彼の
父親そっくりの風貌に変わっていました。彼に言わせ
れば、私の風貌も益々年老いた時の父親と母親の容姿
に似てきたそうです。
老年になると、幼児期の癖、考え方が色濃く出るも
のでしょうか?私は、小学校時代の同級生とは、高校
時代も大学時代も大学をでてからも全く交流を持たず
、中学時代の同級生の同窓会に出ることはありません
でした。
今日訪ねてきてくれた友人は私の生家が経営してい
たアパートに入居していた家族の子弟で、小学5年生
の時に長野県の学校から転校してきた。近所に生活し
ていたので、付き合いの長い友人です。急にほとんど
交流のなかった他の同級生にも会いたいという気持ち
が出てきました。小学校や中学校の同級生はたぶんマ
イトレーヤのことを何も知らない、名前も聞いたこと
がないだろう。私が主のことを同窓生たちに話しても
、まるでおとぎ話の話しの一つと思うかもしれない。
それでも、この世を去る前に、神のスポークスマンが
公けに仕事ができる時を伺っていることを伝えること
ができれば、と願っています。
友人の訪問
2020年06月26日 · コメント(0) · 日記
タグ : 孔子
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