私が、二つのトランクに四苦八苦しながら階段を登ると、安藤さんのご主人が、プラットホームで待っていてくださった。
開口一番、「心配していたけれど、間に合うよ」と言ってくださった。その顔を見ると、ほんとうに心配のために額に縦しわが刻みこまれてしまったかのようだった。すみません、コレコレの事情で、と手短に説明すると、ご主人が家に着く頃、奥さんの安藤さんが大阪から電話をかけてきてくださるから、そのとき何時何分の「のぞみ」に乗ったことを伝えること、「のぞみ」か「ひかり」で新大阪にむかえば、「こだま」で行った安藤さん一行にほぼ追いつけることなどを説明してくださった。
そうこうしているうちに、驚いたことに、ほぼ三十分遅れで、家内がやってきた。普段自宅から上社の駅まで三十分ぐらいかかっているから、ほとんど半分の時間で地下鉄の駅と自宅を往復したことになる。後で聞いて分かったことであるが、タクシー乗り場で待機していた、たった一台のタクシーの運転手は、車の中で仮眠していた。窓をたたいてその運転手を起こし、事情を話して、車を飛ばしてもらったこと、娘が臨機応変に対処してくれたこと、これに加えて(彼女は意識の力で時間を短縮できる、と主張するのだが、私にはよく理解できない)彼女独自の方法によって、思いの他速く到着することができた。
これは後に家内から聞いた話である。
タクシー乗り場に、運よく停まっていた一台のタクシーの運転手が家まで車を飛ばしている間、交差点の信号がことごとく青となって、一度も赤で止められることがなかった。そして、玄関で待っていた娘が乗り込んだ後は、素直に娘の指示に従って運転してくださった。思いの他、通常では考えられない程の時間で、家と上社駅の間を往復できた、という話をしてくれた。タクシー運転手は不思議な人物であった。
七時何分だったか忘れてしまったが、とにかく最もはやく出る新幹線の「のぞみ」に私たちは飛び乗って、新大阪を目指すことにした。
新幹線の中から娘に電話して、二人が合流できたことを伝えた。
「のぞみ」が新大阪に到着すると、直ちに関空に向かう列車「はるか」の乗り場である十一番ホームに向かった。家内と打合せをしていたわけでもないのに、ホームにたどり着くと、家内は安藤さん一行を探し始めた。ここで待っていてくださることを確信しているかのようだった。私ももちろん、そんな気がしていたが、それが家内に伝わっていたのかもしれない。
しばらくすると、杖をついた安藤さんの姿が目の前にあった。事情はすべて分かっています、という顔だった。私も敢えて詳しくは話さず、手短に後れた理由を伝えた。太田さんも宇野さんも、寒いプラットホームの上で待たされるはめになって、何があったのか尋ねるだろうと予期したが、案外明るい表情で、安堵されているようだった。
列車の中から、娘に連絡して、一行と合流できたことを伝えた。旅行を土壇場でキャンセルしなければならないことになるかもしれないという思いが、一時はよぎったこともあるが、案外冷静に対処することができてほっとした。
三月七日、関空へ(2)
2010年07月25日 · コメント(1) · 未分類
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spinning workout // 2017年03月28日 11:22 AM
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