サイババの歩いている姿は、老人がとぼとぼと歩くような姿ではなく、直立歩行を身につけたばかりの幼児が、たどたどしく歩くような感じに、私には見えた。ゆっくりと歩いてくる。手紙を手渡そうと人々が殺到するが、その度にセバ(注15)と呼ばれる、背に青い三角布をつけた人々によって制されて、人々は整列を保っている。サイババはそのうちの、一部の人々の手紙を受け取られる。手紙の内容はすでにご存知で、その内容が、受け入れられるものだけが、サイババの手にとられるのだという。しかし、たとえ受け取られなくても、それに対する返事は、なんらかの形で、その人に伝えられると聞いていた。それは、その人が出くわす日常の出来事がメッセージの形になるのかもしれない。
だんだんとこちらの方に近づいてこられる。ホール中央のアーケード下の通路にこられたとき、私の手紙も受け取ってくださるに違いないと、確信した。というよりは、手紙をすぐに手渡すことができる位置にサイババは、近寄ってくださった。とにかく夢中で、もっていた手紙を渡すことができた。
中央の通路から、五、六人隔てて、私は北側の最前列に座っていたのだが、スーと近づいてこられて、私をジッと見られて、
「日本から来ましたか」。
と英語で声をかけられた。私は、
「イエス」。
とはっきりと答えたきり、心の準備ができていなかったせいか、上気してしまった。その後、サイババが何をおっしゃっているのかさっぱりわからなくなってしまった。同じグループのパウロさんが、英語で、
「フィフティーンス」。
と応えているのが、聞こえた。パウロさんは、日本に帰化したフランス人ジャーナリストで、日本には十数年住んでいて、日本語はペラペラである。もちろん、英語も理解する。彼はやや小柄で、顔のわりに目が大きく、映画俳優の誰かに似ている感じがする。誰であるか思い出すことができない。いつも山内さんといっしょにいる。二人は行動がテキパキとしている点、判断がすばやい点などがよく似ている。彼の応えの意味を理解しようとしていると、サイババが右手をくるくると回し始めたから、あっビブーティ(注16)がいただけるのだと思って、両手でボールの形を作って受けようとした。私が手を出すことが遅れたので、ビブーティが少し床にこぼれた。サイババの後についてくる、おつきの少年が、私の手の中にビブーティを包むための五センチ平方ぐらいの白い包装紙をソット落としていってくれた。両手の平に落とされたそのビブーティは、小匙一杯ぐらいの量であったろうか。私が見慣れていたいつもの、薄い灰色のものとは違って、淡いオレンジ色を帯びていた。少しなめてみると、普段のビブーティがお香の香りがするのに対して、無味無臭である。
初めてのダルシャン(4)
2010年08月12日 · コメント(0) · 未分類
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