私が、ビブーティをその包装紙に包んでいる間に、床に落ちたビブーティは、後ろに座っていたインドの人たちが、次々に手を伸ばして、指先につけて口に運んでいた。私には、このビブーティの持つ意味が、今一つよくつかめていなかったが、貴重なものであることが、周囲の人々の態度から察せられる。包装紙に包んだ後にも両手の挙にビブーティが残っていたのだが、私がそれを眺めていると、背後から四、五本の手がのびてきて、人差し指の指先につけて、数秒後には、私の挙はきれいになっていた。
サイババは、通路の西端にたっしていて、柵の外側の、ホールに入ることができなかった人々に右手をあげて、祝福されているところだった。自分の手ばかりを見ている私の姿を見て、飯島先生が、
「サイババ様が見える限りは、そのお姿を見ていなくてはいけません。サイババ様は後ろにも目がついています」。
と教えてくださった。
やがて、サイババがマンディールに入られて、姿が見えなくなると、音楽がピタリとやんだ。それを合図に人々が次々に立ち上がってホールの外に向かって歩いていく。
「パウロさんが、私の方を見て、
「素晴らしい。スワミ(注17)が後で何をいっていたかわかった?『いつまで、いますか?』って。ぼくが十五日までと言ってしまったけれど、ほんとうは十四日までだった。『又、お会いしましょう』って」。
彼自身もすこし上気した表情だった。
飯島先生が、
「先頭の人が一番籤を引いたときに、今日はなにかあると思ったのですが、サイババ様は、あなたに声をかけるためだったのですね」と。
山内さんは、私の方をうらやましそうに見て、
「すずきさん、何があるの?」と。
一言では伝えることができない事情があったので、私は、
「息子のことで、御世話になりましたので、お礼の言葉を伝えたかったのです」。
とだけ応えた。パウロさんは、
「そのビブーティ、奥さんのところに持っていってあげるの?」
と言いつつ、山内さんの方に顔を向けて、
「このビブーティは、スワミが奥さんのためとか、他の誰かのためにくれたのではなく、すずきさん本人のためにくださったのだから、私ならその場で、全部口に入れちゃうよ」。
と言って、手の平を口に持っていって、一口に飲んでしまうジェスチャアをした。
そんな会話をしながらホールの外に向かって足を運んでいたが、私の心の中では、過去十数年の間に私の家族の中で起こった出来事、荒れ狂った息子が立ち直って独立して行くまでの過程が、走馬燈のように駆け巡っていた。そして、その間、サイババが見えざる世界からジッとごらんになっていたのだと確信を得て、胸の底の方から込み上げてくるものを必死で抑えていた。
息子が独立していったとき、私は彼が何年間も家に閉じ籠もっていた後、人格が完全に変化して、通常の人並みに生活が送れるようになったことは、自然にそうなったのではなく、見えざる手による援助がなければ、果たされなかったと理解していた。
「サイババに息子さんのことをお願いしておきます」。
というBK氏の言葉の意味を次第に認識できるようになった。
サイババに言葉をかけていただいた時に、どうしてもっと冷静に受け応えできなかったのかと、悔やまれてならなかった。こんなことでは、まだまだだ。どんな状況におかれても、冷静に対処できる平静さが身についていなければならないのに、と少し落胆する気持ちとサイババに対する感謝の気持ちから、ともすると突き上げるような感情の波と戦いつつ、一方では穏やかな満足感に包まれて、ホールを出た。
初めてのダルシャン(5)
2010年08月13日 · コメント(0) · 未分類
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