これまで、インド旅行記を書いてきましたが、これからは、私が秘教治療に関心を持つようになったきっかけと治療についての基本的知識について書いてみようと思います。あまり興味を引くことのないちょっと特殊な世界であるかもしれません。手始めにヨガの先生との出会いとその教えが伝えることができればと思います。
先生との最初の出会いについて述べておきたい。
私は仏教の教典や生長の家の谷口雅春氏の「生命の実相」など、精神世界の書物を専門に扱っている名古屋栄にあった小さな本屋さんで、三浦関造氏の書かれたヨガに関する書物に出会った。当時「バカバット・ギータ」、「沈黙の声」、「パタンジャリのヨガ教典」などが、私の愛読書となっていた。それて、三浦先生が主催されていた竜王文庫という所に、読んだ本の感想を書いて出したところ、名古屋市北区にある稚児の宮神社で、竜王会の会合があるという連絡を頂いた。 会場の稚児の宮には早めに着いて、会場である広い畳の部屋に一人座って待った。手持ち無沙汰だったので、ヨガの教えに沿って瞑想してみようと思った。それで、安楽座法で座って瞑黙してしばらくたつと、あたりの静寂さの中に自分の存在が溶け込んでしまうかのような感じがした。そのとき、屋根の上にポトンとどんぐりが落ちる音が聞こえた。
その瞬間、人間は自然の中の一部であって、やがては木の実が熟して大地に戻るように、完成されてこの世を去る時期が自然に来る、という悟りに似たものを得た。不思議な感覚であった。
しばらくすると、稚児の宮でのミーティングの世話をしておられた人やら私の他に四人程の人が集まってきた。その中の一番年長で、中肉中背、五十代ぐらいで、頭をユルブリンナーのように、頭髪を剃った人がいた。その人がミーティングの指導者で、私たちの先生だった。
その時,どんなことを話し合ったか今もはっきりと覚えている。私たちがこのヨガの教えに出会う前に、どのような精神世界の本と出会ってきたか、ということが話題になった。
私は「ヒマラヤ聖者の生活探究」という、ベアード・T・スポールディングの書いた本に感銘を受けていた。そして、他の人々も同じ本を読んでいることを知って、非常に勇気づけられたことを思い出す。
五冊組のこれらの叢書は、いわゆる体操のヨガではない。人間の可能性について、私たちの固定観念を打ち破る画期的な本である。現在は手に入るかどうかわからない。
この本の中に書かれている出来事は、その後「エーテル界」で経験されたことであるという話を聞いた。物質界でのことではない、ということである。
私は、それまでに、さまざまな精神世界の本を読んで、私たちが目にしている世界の背後には、広大な世界があり、物質界の中でも目には見えないけれど、気体状態よりももっと精妙なエーテル界という世界があるということを知るようになっていた。
「ヒマラヤ聖者の生活探究」という本の中には、肉体を抜け出して、物質界で通常通り活動するように、エーテル体という体を用いて自由に活動する弟子の話が出てくるが、そんなことが私たちにもできるようになる、ということを伝えている。
この本は沖縄在住の仲里誠吉氏が訳された本であった。そして、その後、その仲里誠吉先生にも東京の竜王会の会合で出会うことになった。
断っておかなければならない。先生も私も、1982年ごろに竜王会を脱会した。自分たちが目指している方向ではないと考えて。現在は、いわゆる宗教的団体にはどこにも属していない。
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2010年09月10日 · コメント(0) · 未分類
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