これは、45歳ぐらいになってからの体験である。私は、新聞販売店に勤めていた。そこの従業員の方といっしょに奈良県と和歌山県の県境にある天河神社におまいりに行った。夜10時ごろ出発して、現地には夜明け前の3時ごろに到着した。まだ早かったので、少し車の中で休んで、夜明け少し前に拝殿に行った。拝殿で二拍一礼しようとすると、「ドン」という太鼓が鳴った。こんな深夜、誰もいないはずなのに、不思議だなあと思っていると、友人が「俺たちを歓迎してくれている」というようなことを言った。それから、私たちは、拝殿前に作られた奉納殿の階段に腰かけ、目を閉じて瞑想した。目を開けているときには、感じなかったサワサワと風が頬をなぜるような空気の流れのようなものを感じた。しかし、目を開けると、何も感じない。目を閉じて瞑想状態になったときだけそれを感じた。しばらくすると、肉体感覚がなくなって、意識だけが空中に浮かんでいる感覚になった。意識がすべてと溶け合っている感じであった。
やがて夜明けとなり、遠くで小鳥たちのさえずりが聞こえてきた。それが外から聞こえるという感じではなく、私のお腹の中から聞こえるという感じであった。そればかりか、自転車が道を通っている音、車が走っていく音が遠くから聞こえてくるが、それらの音が自分の外の出来事ではなく、自分のお腹の中から聞こえてくるような感じがした。隣に腰掛けている友人とはともに一番外側の皮で、互いにつながっている。要するに、普段の感覚で言えば、内と外が逆転している感じだった。全宇宙が私自身で、この肉体は私の一番外側の皮に過ぎないものであるという感覚だった。
そのとき、拝殿前に新たに人がやってきて、さくさくと砂利を踏みしだく音で、現実にもどり普段の意識となった。ほんの一瞬の出来事だったが、このときを境に人生観がまったく変わってしまった。
天河神社での瞑想
2010年10月14日 · コメント(1) · 未分類
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Augusto de Arruda Botelho // 2017年03月28日 3:56 AM
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