瞑想について
先日瞑想を終えて
受付で利用報告書を提出する際に
受付のご婦人方から
「瞑想すると何かいいことがあるのですか?」
と尋ねられました
しばらく返事に困って
やっと見つけた回答は
「健康にいいと思います」でした
そしたら受付のもう一人の方が
「瞑想すると、集中力がつきますよね」と言われました
私はすぐにその回答がよいと賛成して
「そうです。集中して仕事ができるようになります」と付け加えました
ある人々には無駄なこと、暇つぶしぐらいにしか映らないようで
私の兄はわざわざ交通費を出して名古屋まで行って瞑想する
私の気持ちがわからないといいます
一頃は瞑想する仲間が欲しくて
懸命になって瞑想の利点をあれこれと説明していました
しかしそのような説明を聞いて納得して
いっしょに瞑想するという人はまずいません
反対に私の兄のように
瞑想のような非実利的なことを行うことは
お金の無駄になると説得されるのが落ちかもれません
だから「なぜ、瞑想するのか?」と問われれば
「頭をすっきりさせたいから」とぐらいに答えることにしています
瞑想の話で思い出しましたが
「正法眼蔵随聞記」という本の中に
座禅を終えた小僧の眼前で
禅の師匠が瓦を石にこすって磨く様子をみせます
小僧が「お師匠さま、何をしているのですか?」と尋ねると
師匠は「瓦を磨いて、鏡のようにしたいのじゃ」と答えます
小僧は「そんな無駄なこと。瓦はいくら磨いても、鏡にはなりません」と言います
すると師匠は「機の熟していない者がいくら瞑想しても元のままだ」と答える
という話がありました
遠い昔に読んだ本なので
このとおり書かれてあったのか
自信はありませんが
瞑想は機が熟するまでは
なかなか理解することがむずかしいと言いたかっただけです
瞑想について
2011年05月13日 · コメント(0) · 未分類
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