秘教日記

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新しい時代に人は大いなる目的を持つ。人類がイニシエーションの 道を発見し、それを辿ることになるということを、ハイラーキーは 予言しています。エベレスト登頂を成し遂げた人々が出現したことは、 ハイラーキーの予言が正しく実現される証しです。世界最高峰登頂の 出来事は、イニシエーション達成の予兆となっています。

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長者窮子と放蕩息子のたとえ

2011年06月15日 · コメント(1) · 未分類

仏教の長者窮子とキリスト教の放蕩息子のたとえ
社長が自分の会社を息子に継がせるときは、
息子にいきなり社長職につけるのではなく、
賢明なる社長は、
まず一番シタッパの仕事から始めるでしょう。
そして自分の息子を新入社員と同じように扱うことを
その課の上司に伝えます。
息子は、シタッパの仕事でも、
熱意を持って取り組むことが期待されますが、
あまり真剣に取り組む姿勢がなければ、
次期社長についてもらうことは遠慮してもらう方が
いいかもしれません。
 
周囲の社員も、
その人が次期社長になるということがわかっていると、
何かと遠慮するし
社長の息子という思いに縛られがちです。
 
息子は、通常の社員が体験する苦難とプレッシャーを
同じように体験するなら、
その会社は息子の代になっても発展するような気がします。
しかし、通常の社員と同じ待遇を受けずに、
ちやほやと特別扱いされるなら、
たぶん会社は二代目で斜陽となるでしょう。
 
私の言いたいことは、
神の嗣業を受け継ぐ人は、
本当に継ぐことになるのかどうかを、
周囲の誰かから告げられるのではなく、
自分で勝手にそのように思い込まなければならないということです。
そのように思い込むことによって、
周囲の人々から奇異の目で見られるかもしれません。
普通の人々には耐え難い苦難やプレッシャーをものともせずに、
喜々としてつらい仕事をやり続けることができるのは、
将来自分が次期社長となることが確信できているときです。
いや違った。神の嗣業を継ぐことを確信するからです。
 
仏典に長者窮子の話があり、聖書の中にも放蕩息子の話があります。
その両方とも、自宅を離れ、長い旅から久しぶりにもどった息子を
長者である父親は、まず召使と同じように処遇し、
息子が自覚するにつれて、自分の全財産を継がせるというお話です

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