「小人、閑居して不善をなす」
自分は大人(だいじん)ではないけれど、
少なくとも不善はなしていない、
だからこの諺はあてはまらない、
と考えているあなたに
このブログを読んで頂きたい。
実は私自身不善をなすなんてことは、
絶対にないと考えていました。
不善というのは、
「善ではないこと」ですが、
邪まなことかと言えば、
そうとはかぎりません。
手っ取り早く言えば、
くよくよと思い悩むことです。
「閑居する」とは忙しくないことです。
忙しくないと
私たちはたいてい、
エゴ的発想でものを考えます。
エゴ的にものを考えるとは、
「自分は間違っていないのに、
どうしてこんな目に遇うのか」とか、
「なぜ自分だけこんな不遇な運命を辿るのであろう」
などとくよくよと思い悩むことです。
要するにマイナス思考です。
消極的思考が己ひとりだけでなく、
周辺の人々・自分と関連のある人々に影響を与える
という真理をこの諺は伝えています。
忙しくしている人、
目的意識を持って活動的に行動している人は、
周辺の人々・関連のある人々に
積極性と明るさを伝えることができます。
たとえ大人ではないとしても、
ある愛のエネルギーを放射することになるのではないでしょうか?
少々難しい要求をあなたにつきつけました。
あなたが忙しくして、
くよくよと思い悩むことがないことを願ってのことです。
弟子道では、
自分のことを考える余裕がないほど、
多くの仕事を抱え、
それらをてきぱきと片付けていくことが要求されます。
そのようにして、
「不善をなす」ゆとりが持てなくなるからです。
「小人閑居して不善をなす」について
2011年12月19日 · コメント(0) · 未分類
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