瞑想の理論面の理解
9月10日の「整列ということ」
というブログの中で、
瞑想の秘教的背景を説明するよりも、
その魅力を語った方が
初めての方には分かりやすいと述べました。
ですが今日の瞑想中に、
瞑想の魅力の説明だけでは、
不十分であることが分かりました。
なぜなら、
瞑想の魅力を納得して、
瞑想を続けていますと、
意識はその点に焦点化され、
瞑想の本来の役割が
十分に果たせなくなることに気づきました。
しばらく後には、ちゃんと説明されている本を読んで
理論的に理解することを目指してください。
なんでもない鉄が
高い電圧に触れて磁石となるように、
私たちも
瞑想によって高い霊エネルギーに触れて
魅力が増してくるという理解だけでは、
パーソナリティの欲望の様相に
応えるだけのものになります。
瞑想の本質的な面である、
奉仕の面についての理論的で、
秘教的背景についての深い理解がなければ、
瞑想本来の
神の意志の様相の喚起にいたることはありません。
このことから、
瞑想だけをしていて、
主の臨在の事実を広報するという
カルマヨガの面が欠けた活動は、
片手落ちとなるということも納得できます。
瞑想だけしているグループの人たちは、
エネルギーに敏感な人々が多く、
高いエネルギーを感知して、
自己満足に陥り勝ちです。
奉仕の面を真に引き出したいと考えるなら、
カルマヨガの実践は不可欠です。
瞑想の理論の理解
2012年09月15日 · コメント(0) · 未分類
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