智恵子抄について
高村光太郎の詩集に
「智恵子抄」というのがあって、
その中の詩「あどけない話」の一節に、
「智恵子は東京には空がないと言ふ」と書かれています。
東京で生まれ育った人には、
これは存外な話です。
しかし、たとえば信州とか東北とか
空気のきれいな地方で生まれ育ち、
空気の清浄さに敏感な人にとっては、
智恵子の言葉はもっともだと響きます。
人間の肉体は大変な柔軟性がありますから、
感覚器官を鈍感にして、
感覚器官の敏感な人にはとても住めない
と思われるようなところでも、
何の苦痛を味わうことなく住めるようになります。
恐ろしいことを想像する人がいて、
蛙が茹でられるように、
人間は悪化した環境の中で死滅していく
と考えている人がいました。
どういうことかと言えば、
蛙を鍋に入れてゆっくりと温めていくと、
蛙はいい湯加減だと感じていて、
鍋から抜け出すことに気づく前に
茹で上がるという話です。
普段東京に住んでいて、
夏に軽井沢に避暑に行くセレブの人々は、
軽井沢の空気は特別に清浄であると感じていますが、
本当は軽井沢の空気が普通で、
東京の空気が異常なのです。
その異常さに気づく人々が
いつになったら、
かごから抜け出そうと立ち上がるでしょうか?
智恵子抄について
2013年02月11日 · コメント(1) · 未分類
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Augusto de Arruda Botelho // 2017年03月28日 3:48 AM
Thanks very nice blog!