八重の桜
日曜日のNHK大河ドラマ「八重の桜」見ていて思いました。
八重は会津から兄の覚馬を頼って京都に移り、
その京都で、
女性に教育を授けようと
覚馬が発案した「女紅場」で教師をしています。
彼女がキリスト教の学校を設立しようとしている
新島襄と婚約したことを知った京都の役人が
八重に向かってこういいます。
「耶蘇教(キリスト教)を信じる者は
(仏教の僧侶たちが力を持つ)京都で、
教師の仕事をしていただくわけにはいかない」と。
そして解雇を申し渡します。
その際、
建前だけ「耶蘇教を信じない」ということにして、
そのことを宣言すれば、
「女紅場をやめなくてよい」と言います。
八重はこのことばを断固として受け入れず、
夫となる新島襄と同じ道を進みますと宣言して、
女紅場を解雇されます。
現実社会、
とりわけビジネス社会では
本音と建前を使い分ける風潮が当たり前となっているのを
私はこれまでの職場で経験してきました。
職を失っても断固として、
本音を通すという生き方は勇気がいります。
ドラマを見ていてスカーとしました。
正義を守ろうと断固とした姿勢をとり、
苦闘していた人々が明治の初期にはいた
という事実を知ると感動しますね。
八重の桜
2013年09月09日 · コメント(0) · 未分類
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