「キリストにならいて」(2)
「もしもひとが何か役にたつことを知り、
かつ学びたいと願うならば、
他の人から知られずにおり、
ひとから何者でもないとおもわれることを愛しなければならない。
この真実を知る者がまことの知恵を持つものである」。
これは先に紹介した
「キリストにならいて」の著者、
トマス・ア・ケンピスの言葉です。
「ひとから何者でもないとおもわれることを愛しなければならない」
とありますが、
私の行っていることは、
これとは反対のことかもしれません。
つまりひとかどの者である
と思ってもらいたいと考えて行動しているかもしれないです。
覚者方は、
たぶんトマス・ア・ケンビスのような考えを貫いて、
「知恵を持つもの」となられました。
覚者のマネはできませんが、
「ひとから何者でもないと思われることを愛したい」と思います。
「キリストにならいて」は現代社会には、
あまり受け入れられないかもしれません。
本にはストイックな生き方が綴られていますが、
最初に述べた言葉だけは、
現代世界にも通じる普遍的な知恵であると思います。
あの天才モーツアルトが、
次の生涯では、
名もない靴製造者としての生涯をすごしたという言い伝えがあります。
覚者方の前世については、
歴史上知られている方は、
聖書に出てくるイエス、ペテロ、ヨハネ、マリアだけです。
「キリストにならいて」(2)
2013年11月04日 · コメント(0) · 未分類
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