「大宣言はいのちの神秘、その広大さに触れる体験となる」
それは4、5才の子供の時に帰ったような感覚でしょう。
これはマイトレーヤの大宣言の時に私たちが体験するであろうと、
BCが講演会で伝えていることです。
この言葉が強く響いてきて、
私は自分が4,5才の幼児だったときの体験を思い出しました。
生れ育った家の前で姉が友人の誰かに記念写真を撮ってもらうために、
ツバキの生垣を背景にポーズをとっているとき、
保育園の前掛け姿の私は姉と一緒に写してもらいたく、
ソットすぐ後ろの石垣の上に立ったことを思い出しました。
無意識的でしたが、
その行動がその後の私の人生において深い意味を持っていたことに気づきました。
無意識的でも、
ある行動は私たちのとって深い意味を持ちます。
これがいのちの広大さかもしれません。
直観が目覚めると、
マインドでは理解できない生命の神秘がほのかに見えます。
いのちの広大さとは具体的にどのようなものかわかりませんが、
「目からウロコが落ちる」体験であることは確かだと思います。
Jamey // 2017年03月28日 3:27 AM
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Lilian // 2017年03月28日 8:07 AM
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