いつか知恵ある方にお会いして話しを伺っているとき、
その方が殺人者に対して、
同情的な考えを言われたことに驚きました。
私の目から見て、同情的だとわたしが感じただけかもしれません。
要するにイエスの磔刑に関わったローマ兵に対する、
イエスの態度と同じものを感じました。
話しは変わって、
私がこの仕事を始めた頃、仕事に夢中になって、
家庭をかえり見なくなった時、
妻は私に言いました。
「私がハンドバックを欲しいというのと、
あなたが奉仕したいと言うのと、
どこが違うの?
同じ欲望じゃない」と。
私は狂信的でした。
奉仕したいという気持ちの方が高尚だから、
という考えで、
妻のハンドバックを買いたいとという気持ちに、
理解が及びませんでした。
妻や子供たちから匙を投げられました。
世間的には、犯罪者とは言われなくても、
周囲が見えず、自分の欲望だけに集中しているという点では、
私も殺人者もこの惑星の囚人であるという点では、
大して差はありません。
BCの言葉を思い出しました。
イニシエーションの段階が1.2や1.4での違いは、
この仕事に於いてはとるに足りない。
先生とか指導者という顔をすべきではありません。
マイトレーヤさえ言っています。
「わたしは、神のスポークスマンにすぎない。
あなたがたの兄である」と。
私がが言いたいことは、
この惑星の住人である限り、
同じ穴のムジナ。
偉そうなことを言って先生ぶる謂われはない、
ということです。
Senaida // 2017年03月28日 3:47 AM
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