1984年頃、今から32年ほど前のことですが、
初めてメッセージを読みました。
当時は「大救世主からのメッセージ」というタイトルで、
潮文社という出版社から出ていました。
現在の「いのちの水を運ぶ者」というタイトルの本です。
「親愛なる友よ、
わたしは再びあなたがたと共に居る。
・・・」と書かれていました。
(ベンジャミン・クレーム著/石川道子訳)
「いのちの水を運ぶ者」のメッセージ第14信の冒頭より)
その時は、この表現は隠喩的な表現だと思っていました。
ある月刊誌の5月号の冒頭にある、
「主からのメッセージ」を読むと、
「・・・
わたしは確かに毎日あなたがたと共にあり、
・・・」と書かれています。
「マインドに正直に」と言う方が、
真実ではない単なる譬えを言うだろうか?
この句も文字通りの意味で、
確かに、主は私たちには見えない世界で、
私たちと毎日共にいることを今では確信しています。
「・・・
わたしはあなたがたの愛である。
・・・」(メッセージ第10信より引用)
という表現も、
今では「その通り」と思います。
愛しい人のことを思うとき、
私の心の中に主がおられると思って、
うれしくなります。
こんな私は変ですか?
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