昔、クリシュナムルティのことをブログに書いたときに、
クリシュナムルティの日記は、
自然との一体感を述べた文だと言ったことがあります。
それと比べると、知識人の文を読んで思うことは、
「実践されない知識のみを集めても、
それらの知識はゴミとなり、
却って頭を混乱させる元にしかならない」
ということです。
話は変わって、
最近、この老人ホームに入所してきた老婦人から、
相談を受けました。
その老婦人は、
東名古屋病院で知り合いになった人です。
のべつ幕なし話す人として先に紹介しました。
老婦人は自分の住んでいた家が売れてしまったことを、
今日になって知った、売りたくなかった、
どうしたらいいか分からない、助けてください、と私に訴える。
助けてください、と言われても、
私は法律の専門家でないので、
助けになるようなアドバイスを提供できません。
老婦人は、病気を患う前は教員として仕事をし、
知識が豊富です。
一つのことを人に伝えるのにも、
それにまつわる様々な情報を一度に伝えようとする。
聞いている私は、何を伝えようとしているか判断に苦しみます。
話を聞いていると、
それだけ豊富な知識を持っているなら、
ご自分で判断して決めればよいのに、と思います。
知人から自宅を学習塾として活用したい、
と懇願されて、所有権を委任するハンを押したという。
まさか他人のものになるとは思わなかった、
と言われます。
老人ホームに入居することになったのは、
パーキンソン症を患っているだけでなく、
認知症の症状が出ているからだと思います。
賢そうな娘さんの結婚式の写真を見せてくれました。
しかし、その娘さんに見放されて、
今は連絡しても何の音沙汰もないと言われる。
話を聞きながら、
千日回峰の酒井さんのことを思い出しました。
如何に知識を集めても、
それが役立つことがなければ、
頭を混乱させるだけだと考えながら。
動物界の鋭い感性を取り戻すに
どうしたらよいのだろう。
ohira // 2017年01月14日 10:36 PM
意識がブッディ界にある必要があるでしょう。
ohira // 2017年01月14日 11:00 PM
イエスやクリシュナムルティが本能のまま生きれたのは、4段階で意識の偏極がブッディ界にあったからだと思います。
ohira // 2017年01月18日 10:54 AM
自然界と一体化、調和して惑星意識を持ち、常にブッディ界で生きれるのは、五段階の覚者だけでしょう。
Augusto de Arruda Botelho // 2017年03月28日 3:24 AM
Why people still make use of to read news papers when in this
technological globe all is existing on web?