老人ホームに入居していると、
必然的にこれからも多くの臨終に立ち会うだろう。
”アイちゃん”と叫んでいた老女の遺体を送り出すときに、
死の意味を改めて考えました。
折しも、石川道子講演会の講演記録のCDの中に、
死についての質問に対する講演者の回答がありました。
その回答によると、
死ぬ時は生まれることよりも、
気楽な出来事であると伝えられていました。
そうは言っても、
亡くなった人を歓喜の中で送りだすことは難しいです。
昨日のデイ・サービスのときに、
隣の席で二人の老人の話を聞いて私ももらい泣きしました。
私の将棋の相手をしてくださる方は80才すぎで、
「手術はしなかったが心筋梗塞が完全に治ったわけではない。
いつ死んでもよい。長く生きすぎた」と話されました。
それを隣の席で聞いていたおばあさんは、
涙を流しながら、
「私も早く逝きたい・・・」と涙を出しながら応えていました。
「どんなにつらくても最後の瞬間まで命を大切にして、
生き延びる努力をすれば、神さまは次の生涯で、
より祝福された生涯を用意くださいます」
と私が言うと、おばあさんは急に明るい顔になりました。
覚者がたは、生命に限らず、
どのようなものでも極限まで利用されます。
ましてや物質界での経験は貴重です。
ラパン // 2017年02月12日 6:05 AM
お久しぶりです。
私の父は、昨年、生死をかけた大手術をいたしました。
幸い、命はたすかりましたが、
85歳の高齢でもあり、術後の自宅での生活は、とても大変です。
私も毎日クタクタです。
でも、これほどの生きた体験の場、お勉強の機会はないなぁーと思っています。
どんなに本を読んで知識を溜め込んでも、得ることの出来ない貴重な日々です。
mimizuさんも、周りの方々から色んなお勉強をさせて頂いているし、周りの方々もmimizuさんを通して愛のエネルギーを受け取っている事と思います。
お互いに自分の場所で、ベストを尽くしましょうね。
mimizuさんのブログ、毎日楽しみにしています。
mimizutoisi // 2017年02月12日 8:26 AM
お久しぶりです。毎日ブログを読んでいてくださると聞いて勇気百倍です。
この施設に入居して、2ヶ月になろうとしていますが、アパートにいたときよりも、大勢の人と親交を結び、多くのことを学ぶことができることを発見しました。病気ですが、人生を楽しんでいます。
ohira // 2017年02月12日 11:26 AM
昔、観念なしに、死に向き合ったことがあります。
死とは物質界の全ての終わりです。
わたしは、とても恐ろしく鬱になりました。
ある日、ほんの瞬間、全てを手放したとき、とても強烈なエクスタシーがありました。
特別な体験だったと思います。
死ぬ瞬間は性的オーガズムの何倍ものエクスタシーがあるというのを、その時、仮体験しました。
多分、普通の人は、死ぬっていうことを、観念や知識なしに向き合ったら耐えられないので無意識で防衛してると思います。
Dolly // 2017年03月28日 4:01 AM
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