最澄が空海のもとを訪れて灌頂を受けたという話を聞くと、
空海の能力のほうが
最澄をはるかに上まっていたと考えがちです。
鎌倉時代には比叡山で学んだ優秀な僧侶が
次々と新興宗教を起こしました。
現在の高野山と比叡山はどうか知りませんが、
後の世に多大な影響を与えることになったのは、
空海のサイキック力よりも、
最澄の学問の方ではないでしょうか?
マイトレーヤの教えの中で、特に興味深いものは、
主がイエスにパワーに執着しないように、
警告されたということです。
(「いのちの法則」シェア・ジャパン出版参照)
(注)シェア・インターナショナル公式サイトの中で、
「マイトレーヤの教え」として紹介されています。
ここで言うパワーとは、サイキック力のことで、
新約聖書の中に、イエスが行った数々の奇跡は、
イエスがマイトレーヤのオーバーシャドゥを受けての
パワーだと思います。
先に言及しました「いのちの法則」という本を読むと、
サイキック力も認識も三位一体たる神の子の愛の様相
から生まれるものであることがわかります。
認識の力とサイキック力は、
一つのエネルギー(多分愛のエネルギー)から発展したものです。
サイキック力に執着すると、
その代償として認識力が曇ってしまいます。
サイキック力に執着しなければ、
真我の認識が正常に保たれるという感を私は強くもちました。
ohira // 2017年02月13日 7:57 PM
三段階のイニシエーションを超えるまでは、サイキックパワーを目覚めさせることはマイナスになることが多いです。
安全で効果的な霊能は三段階以降に発達させることができます。
パワーに執着すると解放が遅くなります。
わたしも、日々 思考の力は強烈だと感じているので気をつけたいと思います。
ohira // 2017年02月15日 11:21 PM
わたしは、若いころ、弘法大師の、虚空蔵菩薩求聞持法の真似をして、一日、10時間くらいマントラ瞑想をしていたことがあります。
丹田禅もかなりやりました。丹田禅のせいで、マインドが明晰になった気がします。
マントラ瞑想は、女性的でブッディ的です。
浄土門は偶数の光線が強いです。
丹田禅は、アートマ的で、男性的です。
生きる意志が強くなります。
禅門は奇数の光線です。