以前に幼子の心の話しで、
両極は類似しているということを書いたことがあります。
今回は、笑いと悲しみという感情は、
根っこが同じ感情の表現、というお話しです。
私がヨガの先生のお話しを聞いていたとき、
何の話だったかよく覚えていませんが、
お話しの途中で、私はゲラゲラ笑いました。
先生が私が笑う様子を見て、
「なぜ笑う? 笑うのは悲しんで涙を流すのと同じだ」
と言われました。
怪訝に思っていると、
それを説明する逸話をお話くださいました。
先生が大阪で銭湯の風呂焚きの仕事をしている時、
同僚の方がいたずらで猫の後ろ足に輪ゴムをつけました。
猫は後ろ足の先をしめつけている輪ゴムを外そうとして、
後ろ足を時々振る動作を繰り返しました。
その姿を見て、
いたずらをした同僚の三助は笑い転げていました。
やがて猫は締め付けられていた足先に血が通わず、
猫の後ろ足は失われてしまいました。
悲惨にも猫は3本足で歩くことを余儀なくされました。
いたずらをしたその三助は、
その後自身が糖尿病を患い、
片足を切断することになりました。
猫が輪ゴムを外そうとして、
後ろ足を振る姿をみては笑い転げていた残虐な同僚の三助を見て、
先生は何がそんなに可笑しいのだろうと思いましたが、
それは、その人が未來に悲しみで嘆く姿の裏返しだったのです。
ohira // 2017年03月24日 2:44 PM
そうですね、カルマの法則です。
笑いとは、何か足りない部分への悲しみです。
先生は、第ニ段階以上で、アートマ界の複雑な感情に接していたのかもしれません。
霊的意志は、第二段階の前後で、はじめて初歩的に接触できます。
アートマ界では、言葉は消えます。
あまりにも複雑な感情の界だからです。
アストラル界は、アートマ界の影です。
欲望は意志の弱められた幻影です。
モナド界は、想像力が通用しなくなります。
愛は作られるものではないからです。
あらゆる想像力は浅はかです。
モナド界は、法則が潜在しています。
花は太陽に向かって咲く。
等の普遍的法則が、宇宙のイデアが潜在しているのです。
メンタル界の論理は、モナド界の映しです。
人は、全力で他者を愛するとき、それは圧倒的体験です。
ブッディ界にふれるからです。
ブッディ界は、三界の限界を超越した界です。
ブッディ界は、アディ界につなっがています。
時空を超越した全能の界です。
あらゆる意味性を剥奪します。
ブラヴァツキーは、主観的客観性の火(プラズマ)の海といいました。
時空のドラマを超えそれを包含する、絶対意識。
わたしは、神である、愛である。アディ界では、そういう普通の人が聞いたら妄想と思うような意識が、絶対なのです。世界のほうが物語にすぎないのです。
そして、キャンバスの上の絵が、紙であるように、
世界も、神なのです。笑
Jamey // 2017年03月28日 8:08 AM
This design is wicked! You most certainly know how to keep a reader amused.
Between your wit and your videos, I was almost moved to start my own blog (well, almost…HaHa!)
Wonderful job. I really loved what you had to say, and more than that, how you presented it.
Too cool!