私たちは洞川温泉の旅館街がある通りを歩いていた。
朝の早い時間で、道行く人は少なかった。
或る旅館の前を通りがかると、
玄関先を箒ではき掃除していた宿の主人らしき人が、
私たちを宿に招き入れた。
立ち寄って、
お茶を飲んで行きなさいと言う。
私があっけにとられていると、
友人が言うには、
大峰山の修験道を行ずる人たちが、
旅館を経営していて、
そいうことは珍しいことではないと言う。
見ず知らずの観光客を招き入れて、
お茶でもてなす親切心に遭遇して、
私は、戸惑いを感ぜずにはいられなかった。
このような幸運とも言える接待を受けるのは、
友人が発するオーラのせいではないかと、
私は勝手に想像していました。
友人は、
円空の大きな仏像を祭っている、
下呂にある温泉街の修験道で名の知れた神宮寺の、
宮司の長男に生まれた人でした。
その温泉街の老舗の大きな旅館に行くと、
ただで温泉に入浴させてくれると、
友人を知る別の人から聞いていた。
修験道を行ずる人の目には、
彼のオーラは奉仕せざるを得ない
何かを感じさせるのかもしれない。
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