秘教日記

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死について

2018年01月01日 · コメント(0) · 日記

死について
土曜日(12/30)のどこかのTV番組で、
安楽死の問題が扱われていました。

同じ日の新聞の広告欄に、
矢作直樹著「人は死なない」という本の広告が載っていました。

今朝(12/31)のTVでは、
日野原重明氏の終末医療が番組で取り上げられていました。

三つの情報が重なって、
伝わってきました。

私なりに死の意味を考えてみました。

安楽死について。
米国では安楽死が法的にも認められていて、
患者が望めば、
医師は薬を注射して患者を安楽死させることが、
できるようです。

日本では、ガン患者の苦しみを早く終わらせるために、
医師が家族の同意を得て、
モルヒネを患者に投与して安楽死させ、
殺人罪を問われるという事件がいつかありました。

安楽死あるいは尊厳死の問題は、
色々な専門家の方々の議論を聞かなければなりません。

日野原氏の「いのちは、長さよりも、深さが大切です」
という言葉に私は深い意味を感じました。

いのちの意味について考えて見なければなりません。

以前に、”死からの解放”というタイトルで、
秘教の情報を引用しました。

この引用文は、
DK覚者の「ホワイト・マジック」からのものです。
同じ本には、肉体を意識的に抜け出す抽出の方法を
練習することも述べられています。

ガンだけでなく、
人はこの世での苦しみから逃れるために、
いのちを断ちたいと思う時があります。

だからと言って、
自らいのちを断つ行為は、
神の法を冒すことになるかもしれません。

自然に死を迎えるのでなく、
死ぬことを幇助することは、
日本では罪だと考えられています。

これはどんなに苦しくても、
次の瞬間には光を得て、
解放の時が訪れるかもしれない、
その可能性を断つことになるからだと思います。

人がサトリを得て新たな目的意識を抱き、
前進への意欲を形成することができるのは
苦悩する間であり、サトリを得るのは、
物質界に肉体権化している間だけです。

苦痛・苦悩はカルマの償還と関係があるかもしれません。
”人は苦痛を通して学ぶ”とは、
覚者の言葉です。

地獄の鬼が積み上げた瓦をくずすという仏教説話は
このことを象徴的に伝えているのではないでしょうか?

安楽死の幇助は、
そのチャンスを奪うことにもなりかねません。

人の自由意志は、何よりも大切で、
覚者方は決して人の自由意志を妨げることをしません。

人の自由意志を妨げれば、
おのれの自由意志も妨げられることを知っています。

それに、それだけ解放が遅れることになる。

死の問題について、
引き続き考えてみます。

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