先日の”祈りの科学”の記事に、
書いておかなければならないことが
もう一つあったことに気づきました。
それは、”信念の力”です。
かって旧社会党の土井たか子氏が、
”山が動いた”と言って、
社会党の大躍進を評したことがありました。
この言葉は、
イエス・キリストの言葉:
”もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、
この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、
移るであろう”からとったものです。
”辛子だね”は小さな粒という意味。
形態としてはちいさなものですが、
もちろん信仰は私たちにとって形あるものではないが、
ごくわずかでも信念があるなら、という意味かも。
山は物質界では巨大な形態で、
動かすことがむずかしいもの。
不可能な出来事と思われていることに用いられます。
武田信玄の風林火山の”山”は、
”動かざること、泰山の如し”というように。
つまり、
物質界で巨大で変化しないと思われるものも、
メンタル界のわずかな信念で
可能になるという意味です。
傍目には気づけない目立たない信念:
つまりメンタル界のわずかな想念は、
物質界の巨大な出来事を成し遂げるという意味です。
私たちは、
確固とした信仰(信念)を形成するのは、
一朝一夕にはできないかもしれませんが、
自分の平安や祝福を祈るよりも、
他者の平安や祝福を祈ることを続ける内に、
知らぬ間に自分が祝福を受けていることに気づきます。
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