昨日のブログ:”自己修復機能”は、
マインドの”信の力”が関わりがあるのか、
突如”盟神探湯(くがたち)”の裁きのことを思い出した。
くがたちとは、熱湯に手を入れて、
火傷をしない者は正直者、
火傷をするか、そのことを怖れる者は偽っている者と判断するという、
私たちから見ると、
野蛮で原始的な裁判の方法です。
この裁きの方法は、
古く、日本書紀に記述があります。
同様の裁きの方法は西洋でも行われ、
中世の伝承物語”トリスタンとイゾルデ”にも、
書かれています。
それと類似しているかどうかわかりませんが、
旧約聖書に題材を取った童話集に、
”信仰の少年たち”が、炉に入れられ火にくべられても、
平然としている、という話も思い出しました。
話しは変わって、
昔、生長の家という宗教団体主催の講演会に行ったとき、
一人の会員さんが”自分は神の子です”と言って、
交通事故に会っても怪我一つしなかったという体験談を、
話されたことも思い出しました。
これらはすべて、
真我に裏うちされたマインドの信の力。
確かに、
”正義は吾にあり”という信念は、
異常とも言える力を兵士たちにあたえる。
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