この頃、2020年東京オリンピックが近いせいか、
TVで聖火ランナーについての過去のオリンピックの時の
聖火ランナーを映像で紹介している。
そして2020年の東京オリンピックの時のランナー募集の案内を告
知している。
そんな映像を見て、
思うことがありました。
”聖火をつなぐ”という行為に、なぜこうも人々は興奮し、
あるいは高揚した気持ちを抱くのだろう?
話しは変わって、
古代ギリシャ時代、
ソクラテスが夜ではなく、昼間にカンテラを持って、
街中を歩き”人々に闇夜の暗さでなく、
日頃から心に明かりをともすことを伝えようとした。
旧約聖書にでてくるモーゼをシナイ山で対面する神は、
燃えるシバの炎の姿でした。
神智学では、
私たちのハートは炎のような姿で紹介されている。
ロゴスは大いなる光であり、
真我は(神の閃光)である、と。
大祈願の第一聯には、
仏陀の光が地上の人々に降ることを祈る、
文言がある。
物質界の出来事は霊界の象徴である。
聖火は真我の特質の写しかもしれない。
最澄の言葉に
”一隅を照らす”という文言があります。
私たちが神意識で行動すれば、
周辺を明るくすることを伝えています。
”聖火”をつなぐという単純な行為は、
人々の心の深い所にある神性の思いを呼び覚ますのかも。
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