友人がメールで”拝み”と”祈り”の違いについての、
ご自分の意見を知らせてくれました。
この機会に私も違いを考えました。
拝むということから、
以下のことを思い出しました。
私の小学生時代の恩師に、
浄土真宗の開祖、親鸞の
”吾仏を憶念すれば、仏吾を憶念する”
ということばを言うと、
先生は私の考え方は、
他力本願だと言いました。
先生は、
肉眼で見ることのない霊存在を意識し、
拝んだり祈ることは、
他力本願だとして、
自力本願だけで困難を克服する姿勢であるべきとする、
考え方です。
自分たちで作りだしてきた問題は、
自分たちの責任で解決策を捜すことは当然です。
しかし、
現在の私たちは、
自分たちだけで解決できない諸問題を抱えています。
ですが自分たちの未熟さを、
素直に認める人々ばかりではありません。
”人事を尽くして、
天命を待つ”という姿勢は、
偉大な霊存在を信じ、
助けを求める姿勢です。
私は、目に見えない霊存在を信じ、
援助と指導を求める姿勢は恥ずべきことではないと、
思います。
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