憑依の話しで或る話しを思い出しました。
私が学生の頃、
大学の哲学科の大学助教授で、
哲学の講義よりも、
占星術で世間に評判となっていた方がいました。
ある出来事を占星術で予言し、
その占いが当り、評判になり、
マスコミに取り上げられました。
その先生は、
占星術を大学とは異なる私的な教室で教えていました。
私も友人と一緒に、
先生の講座に出席したことがあります。
占星術の講座とは別に、
その占星術が創始された古代のオカルト的思想も、
教えられていました。
オカルト的思想というのは、
死者とコミュニケーションをとる方法を学ぶことを
幹とする教えのようでした。
その哲学の先生は、
幽霊の憑依現象に特別に関心をいだき、
霊魂の特異な知識をビジネスに利用しようと考えました。
以下は助教授の集まりに参加していた方から、
聞いた話しです。
或る古い神社の境内にある古井戸に、
力の強い憑依霊が閉じ込められていると、
教授は人づてに聴き、
閉じ込められている憑依霊の力を得ようと、
大胆にもその古井戸の封印を解きました。
その後、
助教授の人格はがらりと変わり、
その後大学の教授の職を解かれ、
生家にもどったとお聞きしました。
話しは変わりますが、
新約聖書にも憑依の話しが書かれています。
霊媒体質の方・心霊現象に敏感な方は、
このような憑依現象に関心を持つこと自体が、
幽体にいる霊魂の憑依のチャンスを与えるかも。
無関心、”知らぬがホトケ”、
”さわらぬ神にタタリなし”です。
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